週一の更新になってきました。

ニャーゴとなくな、ニャンと鳴け(なめんなよの心得より)

なめねこブームですね。あたしの中で。なぜ、猫を、しかも何の抵抗もしない子猫をあんな格好にさせたかったのか。映像化したわけでもない猫が学生服を着て無表情で立っているだけではないですか。何故、猫でなければならなかったのか。
1981年のブームですからあたしは全然生まれていません。
でも、もうなんだか知らないけどコインケースと扇子をあたしは持っています。それだけで割りと幸せです。

近頃、また鬱が始まりました。せっかく仕事復帰したのにまた無期休暇。もう偽ることがめんどくさくて仕方ないのです。といって、他の仕事をしようという気力もなく頑張っている人を見るとその力の源を知りたいと思うだけ。あたしは一体何のために頑張ってきたのか果たして頑張っていたのかわからなくなってしまった。

結局は自分のためだってこともわかってる。でも…物事をこなすための原動力はあたしの背中を押してくれている誰かのおかげでした。
期待をされるのは苦手でも相手にはすこぶる期待してしまっていた。その膨らまし様は尋常じゃない。つまりは他力本願なんだけどね。
ただの甘ったれ。わかってる。
仕事が嫌になってしまったのも、客とかそういうのが原因ではなかった。普段、送りのない店が最近頻繁に車で自宅まで送ってくれるようになっていた。しかも店長自ら。その傍らにはあたしと同じ町に住む新人の女の子。ただ一緒だからついでに送られていたのは自分だった。あたしはカモフラージュだった。女が商品になる業界はそういうことだっていうのはわかっていたし、そのときはそれほど傷つかなかったし大したことでもなかった。
急な出勤や、急なシフト変更、詰まったキツイシフトに対応するだけの価値が今の仕事にはあると思っていたし、頼まれるあたしもそれなりの価値を見出せていた。気持ちが上向きのときはあり得ないほどポジティブだったのに、今や落ちだしたら止まらない。自分の価値は関係なしにただの人数あわせ。頼まれたら断れない、プレッシャーには応えようとする真面目さに漬け込んだ魂胆。

では、ないかと。
誰かにそうじゃないよ、って言ってほしい。

やっぱりあたしには緩やかなご褒美は似合わない。激しくて痛いくらいのほうが良し悪しは別にして励みになるのに、つらい事もうれしい事もジワジワろ過されて心と体に影響を及ぼすんだ。違うなぁ。違ったよ。すべての原動力は愛される実感だよ。東大生の君も、変な出合い方をしたアナタも、大好きだったあいつも、尻切れトンボのあんたもあたしを丸ごと捕まえにこなきゃあたしはただの汚い女だ。どうしてこんなに上手くやれないのだろう。愛すべき親友も、誤解が解けた高校時代の友人も、かわいい弟のような後輩もどうしてあたしを出来上がってる人間だと思うの?
本当は頼られるほど強くないし、意見できるほど立派ではないし、常に誰かの声が聞きたいのに。すぐ泣くし怒るし。
笑っているのはこんな自分がおかしいと思うからなんだけどな。あたしみんなのこと大好きなのに。