恋の遍歴

酷いものです。
この半年くらいの恋の落ち方が普通じゃない。恋に落ちること自体普通じゃないのか。京都の男、東京の男、結婚願望の強い元客、ヤンキーで美しい男・・・・
どれもこれも、最後だと思っているのに全然スタートもしていなかった。ただ身体を許しあい開いた穴をなんとなく塞いだ、ただの応急処置だ。また穴が開くのならまた流れるように抱き合って水の泡みたいにすぐ消えてなくなるのに信じて止まなかった。
ただのすげー人恋しい寂しい女だった。

神様がもし今迎えた奇跡を与えてくれたというのなら、あたしはただ思い出に浸ることしかできない失礼な恋に落ちた。


初恋で初めて愛した人は、この世にもういない。8年前の春の事。もうすぐ春だから思い出しているわけではなくて思い出す事が無いくらい想っているのだ。初恋だったからでも死んでしまったからでもない。イギリスへ音楽留学すると嘘を言って彼はあたしに最期が近づいている事を隠し続けていた。魂が逝き、肉体がただの肉体になった事を随分遅くに知らされたあたしは8年たった今も理解が出来ないでいる。彼はいまだにイギリスで、手紙も書けないほど多忙に過ごしているに違いない。
彼はドラマーだった。合唱や授業でしか音楽とか歌う事を知らなかったあたしにロックミュージックを教えてくれた、今までで一番あたしの人生に影響を与えた男である。
そして恋とか愛とかそういうことも教えてくれた人だ。それは決して衝撃的な最近まれに見る恋愛ではなく季節が巡るようにゆっくりと深く刻まれていく優しい感情だった。14歳で異性を愛していると言えたのはその当時ではあたしぐらいではないかと思う。周りのコ達がいくら“彼氏”と「アイシテルヨ」の言葉ををポケベルで交わしていようとあたしには偽物にしか思えなかった。それ程彼との間柄は確実で、熱くは無いけど温かいものだった。
初めて人前で歌ったとき快感より感動より彼への感謝の気持ちでいっぱいになったあたしはその歌の最も大事なところを涙で歌えなくなってしまった。大きな声で何か言った彼の方へ振り返るととても素晴らしい笑顔であたしの背中にスティックを投げつけてきた。胸いっぱいで何故かその瞬間ドラムセットを壊す勢いであたしは彼の方へ飛び込んでいった。そばで、触れられて「しっかりしろ」と叱られたかったのだと思う。その日が彼が太鼓を叩いて笑っていた最後の日だった。
香水と節くれた大きな手、長い髪と茶色い目。まっすぐ刺さる全ての言葉・・・。唇も身体も綺麗なまま大切にしてくれていた彼の気持ち。とても強い人。今でも声が聞こえてくる。
彼が亡くなったのを知って初めてあたしは「神様」と呼びかけ願いをかけるようになった。命日になるといつも同じ事を願っていた。時間が戻らなくてもいい、彼の生まれ変わりがいるのなら出会いたいと。それからがむしゃらに恋をして愛せた人もいた。それでもあたしの細胞全部にこびりついたあの日々を忘れる事も思い出にする事も決して出来なかった。心のどこかで「彼ならばどうしただろう」「彼が・・・彼が・・・」思いは彼の影を追いかけてしまっていた。

「神様、彼の生まれ変わりが現れたらあたしは迷わずそばにいたいと思う」
8年間呪文のように唱えてきた願いが、ひょんなところに転がっていた。それはたまたま躓いた石ころみたいな遭遇。髪も目も手も音楽も、発する言葉もまさかと思うほど彼に類似している。しかもその人はドラマーである。まるで磁石みたいに会うことになって昔から知っていたような感覚で次から次へと話題が尽きずほぼ同時に落ちたのだ。
あたしは彼がイギリスから帰ってきたのだと錯覚した。同じ空気をもつあの人は彼そのものにあたしの目には映るのだ。決して衝撃的ではないゆるりとした流れに乗ってしまいたい気持ちと現実との狭間であたしはせつなくて苦しくてもういない彼に独り言で相談している最中だ。

何度も、何年もあたしはあたしの中のあたしに言っている。
彼は死んでいない。
人生で最も愛や音楽に影響を与え、最大の悲しみを残した彼をあの人の背中にダブらせてしまうなんて、なんて失礼な恋の落ち方しちゃったんだろう。